障害の受容。
脊損の”障害の受容”に関してのご質問をE-mailで戴いたことがありまして、その時は、「本人が障害を受容するより、まず、社会が障害を受容するかどうかが問題」という話しになりました。
ちょっと気になっていた話題なので、現在、障害受容に関連する本を何冊か読書中なんです。
ついでに脊髄損傷のリハビリ関係の本や障害者問題の本など色々買い込んでしまって、読書の秋状態です。
以前、ハンディキャップで、
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インペアメント、impairment、機能障害 |
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ディスアビリィティ、disability、能力障害 |
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ハンディキャップ、handicap、社会的な不利 |
参加の制約で、1998年の改正では、
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disability(能力障害)が、limitation of activity (活動の制約) |
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handicap(社会的な不利)が、limitation of participation (参加の制約) |
disability(能力障害)がhandicap(社会的な不利)の全ての原因では無く、社会がlimitation of activity (活動の制約)に対してlimitation of participation(参加の制約)していることが問題提起されたと思っています。
障害が”参加の制約”の原因の全てと考えるなら、そこから、”障害を克服する”、”障害を乗り越える”という発想が生まれます。この言葉は現在もメディアで平然と当然のように使われています。そして障害者に”がんばれ”という言葉が沢山かけられます。障害を無くそう=障害者の存在否定という優生思想に短絡する可能性もそこから生まれます。
障害の発生を少なくする努力は大切です。が、実際には障害はゼロにはならない。では、障害の存在を認め、受け容れていくことが社会に問われているんだと思います。社会がもっと障害を受容すれば、障害者が障害を受容するのはもっと楽になる筈。
障害者と社会を隔てる障壁(障害者を取り巻く4つの障壁:参照)は、障害者、社会の双方のアプローチによって初めて取り除かれるものなんじゃないでしょうか。
トンネルだって、片方から掘らず、両方から掘り進めるじゃないですか。その方が早く完成するから。
”がんばる障害者”の姿があちこちでメディアに紹介され始めましたね(もうすぐパラリンピックが始まる)。
じゃあ、”がんばる社会”の姿ももっと紹介して欲しいなあと思うのです。
参考文献
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障害受容[意味論からの問い] |
荘道社 ISBN4-915878-16-3 定価1500円+税 |
2000/10/17(Tue)作成
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